アンドリュー・ラウ劉偉強 

劉偉強

 「傷城」の製作プロデューサー兼共同監督の片割れ兼撮影監督。

 1960年香港・元朗生まれ。ご先祖は嶺南人。6人もの兄弟姉妹がいる大家族のなかで成長した。
 父親がカメラ好きで、行事のたびに子ども達を撮影していたため、撮影への関心を芽生えさせる。また若い伯父は映画好きで、仕事帰りに安いレイトショーにアンドリューを連れて行き、映画鑑賞にふけっていた。小学生になると映画館の息子の同級生の後について映画を無料で見まくった。

 中学卒業後、当時は大スタジオを備えていた映画会社ショウ・ブラザースに入社。スタジオでの下働きから始め、撮影アシスタントとして3年働く。当時は仕事の傍ら、趣味でバンドを組んでいた長髪の音楽青年でもあった。 85年に撮影カメラマンとして一本立ち。87年にチョウ・ユンファ周潤發とダニー・リー李修賢主演の潜入警官とマフィアの友情物語「友は風の彼方に/龍虎風雲」(86)で撮影監督デビューを飾った。

友は風の彼方に 友は風の彼方に
チョウ・ユンファ (1999/08/25)
ジェネオン エンタテインメント

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 翌年、ウォン・カーワイ王家衛監督作「いますぐ抱きしめたい/旺角卞門」で、大胆にも手持ちカメラを半分以上の撮影で使用、躍動感とクールなダークブルーの色調という斬新かつスタイリッシュな映像で話題を呼ぶ。この作品の撮影をきっかけに、美人の妻とも知り合い結婚する。

いますぐ抱きしめたい いますぐ抱きしめたい
アンディ・ラウ (2006/06/23)
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

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 90年、ダニー・リー李修賢が経営する映画会社から「朋黨」で映画監督デビュー。撮影監督も並行して続け、UFO電影人製作有限公司のピーター・チャン陳可辛&リー・チーガイ李志毅監督のもとでトニー・レオン主演作「月夜の願い〜新難兄難弟」(93)の撮影監督を務めた。

月夜の願い 月夜の願い
トニー・レオン (2004/02/18)
ポニーキャニオン

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 95年にウォン・ジン王晶、マンフレッド・チョン文雋と3人で「BOB最佳拍[木當]公司」を設立。主に、人気コミックシリーズの映像化に取り組む。
 コミックの映画化作品「欲望の街/古惑仔」シリーズでは、まだドングリの背比べ状態の新進歌手の一人だったイーキン・チェン鄭伊健やジョーダン・チャン陳小春らを大胆に起用してブレイクさせ、コミックの1シーンと俳優の実写をリンクさせる試みに見事成功した。

欲望の街〜古惑仔 I・銅鑼湾(コーズウェイベイ)の疾風 欲望の街〜古惑仔 I・銅鑼湾(コーズウェイベイ)の疾風
イーキン・チェン、チャウ・シウチェン 他 (2001/03/14)
ポニーキャニオン

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 第1作「欲望の街 古惑仔I 銅鑼湾(コーズウェイベイ)の疾風」(96)が記録的ヒットを飛ばすや、すぐに第2作「欲望の街 古惑仔II/台湾立志伝」」撮影に取り掛かり、同年4月に、さらに第3作「新・欲望の街 古惑仔疾風、再び」をなんと2週間で撮り上げて7月に連続公開するという離れ業をやってのける。その後も「古惑仔」シリーズを続けるほか、アクションロマン時代劇大作「風雲 ストームライダース/風雲雄覇天下」(98)を監督・撮影。セントロ・デジタル・ピクチャーズのSFXを盛り込み、千葉真一を物語の敵役である中心的人物・雄覇に起用して成功を収めた。

 アラン・マックとフェリックス・チョンが温めてきた「インファナル・アフェア」の原案に目を留め、書き続けて1本の脚本にするよう励まし続けた。脚本が形になると、友人のアンディ・ラウに相談、アンディがメディア・アジアの社長、ピーター・ラム林建岳に掛け合い、映画化に漕ぎ着ける。アラン・マックと共同監督のかたちを取り、今まで培ってきた人脈を生かしてアンディ、トニー、エリック・ツァン曾志偉、アンソニー・ウォン黄秋生という、香港電影金像奨の主演男優賞に輝いた名優を揃え、大ヒットシリーズに育て上げた。

インファナル・アフェア 3部作スペシャルパック【初回生産限定】 インファナル・アフェア 3部作スペシャルパック【初回生産限定】
アンディ・ラウ (2007/01/17)
ポニーキャニオン

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アラン・マック麥兆輝 

麥兆輝

 監督兼脚本家。アンドリュー・ラウ劉偉強と「傷城」の共同監督を務めた。監督業のなかでも、撮影現場で俳優への演技指導を主に担当したと見られる。またヘリコプターに乗り込み、ヴィクトリア湾での夜間空撮にも参加した。

 1965年3月12日香港生まれ。
 代々警察官を務めてきた家に生まれた。父と長兄も警察官。母親は敬虔な仏教徒で、家にはいつも様々な仏教経典があった。
 家族は皆、アランも警官への道を進むと思っていたが、父から警察内の数々の興味深いエピソードを聞いて育った彼は、それを物語にしたいと夢見て香港演芸学院に入学し、舞台芸術を学んで1990年に卒業した。演劇界入りを志すが、香港内の劇団には空きがなく、ある劇団で2人の男優を募集しているだけの狭き門だった。その時合格したのは、後に映画界でも活躍し、舞台劇の映画化作品「南海十三郎」で台湾金馬奨最優秀主演男優賞を受賞する男優となる、チェー・クァンホウ謝君豪だけだったそうだ。
 楽観的な性格で、辛かったことや哀しかったことはすぐに忘れてしまえるタチだと自認するアランは、ひょんなきっかけでTVBディレクターのレオ・ヒョン・ラプハン向立行が手がける舞台劇に参加。その後、向立行が、自分の撮影する三級片(エログロバイオレンスのX指定映画)の「旺角馬場」(92)に参加しないかと誘って来る。勤務条件は1作につき9000香港ドル(約13万5700円)の謝礼だった。それも3ヶ月分の作業としての謝礼である。月収4万5200円程度……_| ̄|○

 製作会議でのお茶汲み、記録係、エキストラ集め、衣裳係などの下働きから撮影後の後工程、フィルム編集、フィルム現像など、映画撮影に関するほとんどの職種を経験し、気がつくと9ヶ月もこの1作の映画に関わっていた。ということは、月収1万5000円……_| ̄|○_| ̄|○
 周囲は「おまえ、騙されたんだよ」と忠告し呆れたが、楽観的な彼は映画製作のおおよそを学べた貴重な体験だったと考える。実際、次に依頼が来たのは、もう雑用係ではなく第2助監督としての仕事だった。

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フェリックス・チョン莊文強 

フェリックス・チョン

 1968年2月28日香港生まれ。既婚。「インファナル・アフェア」第1作の脚本第1稿を構想中に結婚式を挙げ、現在では2人の娘がいる。脚本家だが「傷城」製作日誌を見る限り、撮影に精力的に立ち合い、監督に近い役割を果たしている様子だ。
 父親が映画館のマネージャーで、フェリックスは幼い頃から多くの映画を見て育った。香港浸會大学傳理系(コミュニケーション学科)に在学中から映画撮影の仕事に従事。大学卒業後、本来は建築の道に進むつもりが、就職にあたって引越のために履歴書の自宅住所を書き間違え、面接試験を受けられなかった。やむなく選んだのが映画の仕事で、まずは撮影助手となる。映画業界で成功できる人間は1万人に1人だと人一倍知る父親は、息子の選んだ道に激怒し、1年は口を利いてくれなかったとか。

 当時は口ベタで無口な青年だったらしい。撮影助手のほか、映画会社では映画資料収集の仕事を任された。続いて彼は自分の口ベタを治そうと、TVB電視廣播有限公司の宣伝部に転職し、コピーライターアシスタントとなる。当時のTVB記念イベントのキャッチコピー「全力以赴、做到最好!」というコピーは、彼が考案したもの。脚本倉庫は彼の席のすぐ後ろにあった。多忙な仕事の合間にこっそり脚本研究を続けたのか、無事に脚本家に転職。4年間テレビ業界で、ディレクターらがディスカッションして作った物語を文字に起こし脚本に仕上げる作業を辛抱強く続けた。96年に3歳上のアラン・マックと知り合った時、アランはとても眠るのが好きな助監督だったと言う。

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金城武(丘健邦) 

 広東語でガムセン・モー、北京語でジンチェン・ウー。
 1973年10月11日生まれ、天秤座O型。国籍は日本、現住所も日本らしい。出身は台湾・台北市。
 身長179cm。
 沖縄出身の父親と台湾人の母親、2人の兄がいる。祖父母にも日本語を学び、母とは台湾語で話した。台北日本人学校の中学部を卒業後、台北のアメリカンスクールに進学。在学中に友人の紹介で、清涼飲料水のCMに出演。92年に歌手デビューし「ANIKI」の愛称で親しまれる。
 台湾のテレビドラマで俳優としてデビューし、人気が香港にも知られるようになり、93年に「東方女侠2」で香港映画に初出演。
 4大アイドル「台湾四小天王」の一人として有名になる。
 王家衛監督に抜擢され「恋する惑星」(94)、「天使の涙」(95)に出演。日本でもブレイクして95年にオムニバスドラマ「聖夜の奇跡」で宮沢りえと共演。98年には「神様、もう少しだけ」で深田恭子の相手役を務め堂々の主演を果たす。
 邦画「MISTY」(97)、米国在住の韓国人監督チン・ウォンソクのインディペンデント映画「ニューヨーク デイドリーム」(98)に出演するなど、映画界で幅広く注目される。邦画では「リターナー/Returner」(02)が、日本のドラマでは「ゴールデンボウル」(02)が最後の出演作となっている。以後は中華圏映画界を活動の主な場所とし、「LOVERS/」(04)、「ウインター・ソング/如果・愛」(05)、「傷城」(06)と確実に有名監督とのコラボレーションの実績を積み上げている。

 「傷城」の次の作品は、「ウインター・ソング」のピーター・チャン陳可辛監督と再び組む「刺馬」改め「投名状」。ジェット・リー李連杰、アンディ・ラウ劉徳華との共演が注目の的。さらにその後、ジョン・ウー呉宇森監督作「赤壁」で諸葛亮孔明役を演じることが決まっている。

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トニー・レオン梁朝偉(劉正煕) 

 広東語でリョン・チウワイ、北京語でリャン・チャオウェイ。
 1962年6月27日香港生まれ。蟹座A型。身長は公称172cm。
 香港・尖沙咀で生まれ、英語教育の幼稚園、小学校と進学。10歳で両親が離婚、母に引き取られ英語教育の私立6年制中高一貫校を15歳で卒業、働きに出る。遊び仲間の少女の弟だった、同い年のチャウ・シンチー周星馳と気が合い、彼につられて香港最大手のTVB芸員訓練班を受験、見事合格。在学中から甘いルックスと確かな演技力が評価され、82年にTVBと契約。テレビドラマ、歌、映画と活躍の場を広げる。
 83年から映画界に進出、連続テレビドラマは18本で出演をやめて映画俳優としてキャリアを積む。「悲情城市」(89、ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞)で海外からも注目を浴びるようになり、まだ監督作が1作しかなかった王家衛監督に出演依頼される。「欲望の翼」(90)に出演後、「恋する惑星/重慶森林」「楽園の瑕/東邪西毒」(94)、「ブエノスアイレス/春光乍洩」(97)、「花様年華」(2000、カンヌ映画祭最優秀男優賞受賞)、「2046」(04)とコラボレーションを続け、欧米でも知名度を上げていく。
 「インファナル・アフェア/無間道」(02)、「HERO英雄」(02)など話題作にもコンスタントに出演。最新出演作はアン・リー李安監督と初めて組む「色、戒/Lust,Caution(仮題)」(07予定)。ジョン・ウー呉宇森監督の大作「赤壁」(08予定)は急遽降板したものの、メディア・アジアが放つアラン・マック&フェリックス・チョンの新作に出演する可能性が高い。

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